Gemini Missionについてお探しですね。
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月へ行くための大切な準備!ジェミニ計画ってどんなミッションだったの?
人類が月面に降り立ったアポロ計画。
実はその裏側には、たくさんの困難を乗り越えた「ジェミニ計画」という大事なステップがあったんです。
初めて宇宙に行くことができたマーキュリー計画のあと、アメリカは「月に行く」という大きな目標に向かって、もっと難しい宇宙技術を身につける必要がありました。
この記事では、月面着陸を実現するために欠かせなかったジェミニ計画について、特に4号から12号までのミッション内容や、活躍した宇宙飛行士たちのすごい功績を分かりやすく紹介します!
ジェミニ計画って何?月へ行くための「練習」だったんです
1961年、当時のケネディ大統領は「1960年代が終わるまでに、人間を月に着陸させて無事に地球へ帰ってこよう!」という壮大な目標を発表しました。
でも、1人乗りのマーキュリー宇宙船だけでは、いきなり月まで行くのは無理。
そこでNASAは、マーキュリー計画とアポロ計画の間をつなぐための新しいプロジェクトを立ち上げました。
それがジェミニ計画です。
「ジェミニ」はラテン語で「双子」という意味。
その名前の通り、2人乗りの宇宙船が使われました。
ジェミニ計画の大きな目的は、月へ行って帰ってくるために絶対に必要な技術を試すことでした。
具体的には、こんなことを確かめる必要がありました。
・人間が宇宙で2週間以上過ごせるかどうか
・宇宙船の外に出て作業できるかどうか(宇宙遊泳)
・宇宙空間で別々の宇宙船同士が近づいたり、くっついたりできるか(ランデブーとドッキング)
・地球に戻るときに、狙った場所に正確に着水できるか
これって、当時は誰もやったことがない未知の挑戦ばかりだったんです。
しかもジェミニ宇宙船には、初めて小型のコンピュータが積まれました。
地上の管制センターだけに頼らず、宇宙船自身で計算したり操作したりできるようになったのは、その後のアポロ計画やスペースシャトルにつながる大きな進歩でした。
つまりジェミニ計画は、月へ行くための「本番前の練習場」だったというわけです。
ジェミニ4号〜7号:アメリカ初の宇宙遊泳と長期滞在に成功!
ジェミニ計画の有人飛行は3号から始まりましたが、本格的な実験がスタートしたのは1965年に打ち上げられた4号からです。
ジェミニ4号には、ジェームズ・マクディヴィットとエドワード・ホワイトという2人の宇宙飛行士が乗り込みました。
このミッションで、ホワイトさんがアメリカ人として初めて宇宙遊泳を行ったんです!命綱1本で宇宙空間に飛び出して、約20分間も外で活動しました。
この映像は世界中に衝撃を与え、「アメリカの宇宙技術がソ連に追いついてきた!」と大きな話題になりました。
次のジェミニ5号では、ゴードン・クーパーとチャールズ・コンラッドが搭乗して、当時の記録となる8日間も宇宙に滞在しました。
月まで行って帰ってくるには約1週間かかるので、「人間が無重力の中で1週間以上過ごせるか」を確かめる必要があったんです。
このミッションで、長い間電気を供給できる燃料電池も本格的にテストされました。
そして特にすごかったのが、ジェミニ6A号と7号の合同ミッションです。
1965年12月、まずフランク・ボーマンとジム・ラヴェルが乗った7号が打ち上げられ、最長記録となる14日間の宇宙滞在を行いました。
その軌道上に、ウォルター・シラーとトーマス・スタッフォードが乗った6A号が追いかけるように打ち上げられます。
そして2つの宇宙船が、宇宙空間でなんとたった30センチまで近づく「ランデブー飛行」に成功したんです!広い宇宙で猛スピードで飛んでいる物体同士を正確に近づけるこの技術は、後のアポロ計画で月着陸船と司令船が合流するために絶対に必要なものでした。
ジェミニ8号〜10号:史上初のドッキング成功!でもトラブルも…
1966年3月に打ち上げられたジェミニ8号は、宇宙開発の歴史を大きく変えるミッションになりました。
搭乗したのは、後に人類で初めて月面を歩くことになるニール・アームストロングと、デイヴィッド・スコットです。
彼らは無人のアジェナという標的衛星に近づいて、史上初めて宇宙空間で2つの宇宙船をドッキング(接続)させることに成功しました!
でも、喜んだのもつかの間。
突然、姿勢を制御するスラスターという装置が故障して、ドッキングした宇宙船が毎秒1回転というものすごい勢いでぐるぐる回り始めてしまったんです。
これは本当に危険な状態でした。
アームストロング船長は冷静に判断して、まず標的衛星から切り離しました。
でも回転はさらに速くなってしまいます。
そこで彼は、本来は地球に帰るときに使う予備のスラスターを手動で起動させて、なんとか回転を止めることに成功しました。
予定より早く地球に帰ることになりましたが、この危機を乗り越えたことで、「宇宙飛行士の優れた操縦技術と冷静な判断がどれだけ大切か」が証明されました。
その後のジェミニ9A号では、トーマス・スタッフォードとユージン・サーナンが、もっと複雑な軌道でのランデブーに成功します。
ただ、サーナンさんの宇宙遊泳では宇宙服のヘルメットが曇ってしまうなどのトラブルがあって、「宇宙空間での作業って本当に大変なんだな」という課題が見えてきました。
続くジェミニ10号では、ジョン・ヤングとマイケル・コリンズが搭乗しました。
彼らは標的衛星とドッキングした後、なんと標的衛星のエンジンを使ってさらに高い軌道まで移動するという、高度な操作を見事に成功させています。
ジェミニ11号・12号:計画の集大成!アポロへの道が開けた
ジェミニ計画の最後を飾るミッションが、1966年後半に打ち上げられた11号と12号です。
ジェミニ11号にはチャールズ・コンラッドとリチャード・ゴードンが乗り込みました。
このミッションでは、打ち上げ直後の最初の地球周回で標的衛星とランデブー&ドッキングを成功させるという、すごく難しいことに挑戦しました。
これは、アポロ計画で月面から離陸した後を想定した訓練だったんです。
さらに標的衛星のロケットエンジンを使って高度1,370kmという、当時としてはめちゃくちゃ高いところまで到達しました。
そして、搭載されたコンピュータによる完全自動での地球帰還にも初めて成功しています。
そして、ジェミニ計画の最終ミッションがジェミニ12号でした。
搭乗したのはジム・ラヴェルと、後にアポロ11号で月面に降り立つバズ・オルドリンです。
これまでのミッションで、宇宙遊泳は宇宙飛行士をとても疲れさせてしまい、予定通りの作業ができないという問題がありました。
そこでオルドリンさんは、事前に水中で徹底的に訓練を行い、宇宙船の外に手すりや足場を取り付けるなどの工夫をしました。
その結果、疲れを最小限に抑えながら合計5時間以上もの宇宙遊泳を完璧にこなすことに成功したんです!
ジェミニ12号の成功で、NASAは月面着陸に必要なすべての基本技術(長期滞在、ランデブー、ドッキング、宇宙遊泳、正確な誘導と帰還)を実証し終えました。
約5年間のジェミニ計画で積み重ねたたくさんのデータと、危機を乗り越えた宇宙飛行士たちの経験は、そのままアポロ計画へと受け継がれていきます。
彼らの命がけの挑戦がなければ、1969年の「人類が月に降り立つ」という歴史的な瞬間は絶対に実現しなかったでしょう。
ジェミニ計画は、まさに月への扉を開いた偉大なプロジェクトだったんですね!
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